|
息子(父からは孫)の勤務地に両親と私の三人で旅行に出かけました。 コレが父の最後の旅行になるとはこの時は 誰も予測できませんでした。 旅先で体調不良をうったえる父に、私は「どうしてこんな時に・・・」と、 腹を立てていました。 まさか父が白血病だとは・・・ 父は病名を自分に言い聞かせ「俺はこの病気では死なない!」と 断言しました。 絶対に治る!!と信じて、父と家族の白血病との闘いが始まりました。 91歳の姑を抱えながらの遠距離介護が始まりました。 どうしたら自分の家と実家のことをうまく区切りをつけて 遠距離介護をすれば良いのだろうか・・・ 考えていても始まらない、とにかく出来ることからと、心身のバランスも考えず ただただ父が治ることを信じて新幹線に飛び乗りました。 新幹線の中で、「妻・嫁」 と 「娘」の気持ちを切り替えていましたが、 後から思うと、これが凄いストレスになっていました。 私の困っているのに、自分のことばっかり訴える姑にイライラしていました。 夫の協力があるから遠距離介護をさせてもらえる、夫に感謝! 父は、薬(ベサノイド)の副作用で間質性肺炎になってしまいました。 人工呼吸器を挿入されICUに入った父を見て、これで最後かもしれない 病院から電話があったら最後だと、電話のベルにドキドキして夜も寝ることができませんでした。 ICUに入ったことで、せん妄から痴呆の始まりになるとは思ってもいませんでした。 両親にストレスがたまりだしたました。 ICUから出た後の父は、夢と現実の中でさまよっているようでした。 せん妄のため夜中に徘徊する父は、手足を拘束されていました。 どうしてこんなことになってしまったの!と、父の姿を見るのがとても辛く 私がもっと近くにいられたら、私が出来ることは沢山あるのに・・・と もどかしさでいっぱいになりました。 白血病の治療は良い結果が出ていましたが、地固療法は父の痴呆を 進ませることになるので、地固療法はしないことになっってしまいました。 長生きは望めないと宣告されたようなもので、父の生きている時間を 出来るだけ一緒に過ごしたいと思いました。 私は自分で気がつかないうちに無理しすぎてしまったのか 私は最悪の体調での年越しとなってしまいました。 体調不良で、お正月の外泊のサポートに行けない私の変わりに、 息子が実家に行ってくれました。 父の外泊も許可されて、いよいよ退院の日が来るのかと“ホッ”としたのもつかの間・・・ 気になっていた痴呆の症状がどんどん出てきてしまいました。 完解となり、父がようやく退院しました。 入院から3ヵ月半、振り返ると短いようだけどいろいろな出来事が頭の中を駆け巡りました。 年内に再発の可能性ありと言われているので、それは現実として受け止めていましたが、 このまま穏やかな時間が長く続きますように・・・と、祈るしかありませんでした。 父は2月に2回脳梗塞をおこし入退院、これが本格的な痴呆への始まりとなってしまいました。 このころ、姑の存在がますます大変になってしまい、 姑を抱えての遠距離介護の難しさを痛感しました。 私にもう少し協力して欲しいと心底思っていましたが、 私の願いを聞いてくれることはありませんでした。 自分の親の生死にかかわる状況でも、義親の存在は第一なのか・・・?と思うと、 ”嫁”ってなんなんだろう、生んでも育ててももらっていないのに・・・と、 姑に素直な気持ちになれませんでした。 ただ、夫の協力と励ましが支えでした。 父の退院を素直に喜べませんでした。 私にはこの先起こるであろう不安が付きまとっていました。 不安は的中。 退院からまもなく、実家からSOSが・・・ 家の中を裸で徘徊し、失禁。目を離すことができなくなりました。 私が父を車に乗せてドライブ。 この日の外出で見た景色が、父が見る最後の景色になるとは思ってもいませんでした。 日本平から見た富士山はとても綺麗でしたが、父には富士山みえていたのかわかりませんでした。 父の不穏な状態は、白血病の再発が原因でした。 再発は免れないと覚悟はしていましたが、1月22日の退院から2ヶ月も経っていないのに・・・ 再発したことを聞いた父は、私や母への気遣いだったのか、表面的な動揺はしませんでした。 次の闘いに挑む父を、綺麗にしてあげたくて床屋さんに連れて行きました。 入院の朝、父は私のことがわからなくなってしまいました。 白血病が完解を保てるようになったら、退院しなければならない。 退院・・・嬉しいようなそうでないような・・・というのも 痴呆の父を母独りの力で在宅介護は無理・・・ 父の症状でも入所させてくれる施設を、母とあちこち探しまわりました。 グループホーム、老人病院、老健施設など・・・ どこも、白血病で痴呆があるというと言うと、引いてしまうのがわかりました。 施設見学に出かけた途中、母が大量の吐血をしてしまいました。 私は、呆然として母は死んでしまうと、頭が真っ白になりました。 今から思うと、私の判断は無謀だったけれど、私の知識のなさに神様が味方してくれたのか、母は父の入院している病院に救急車で搬送してもらうことが出来ました。 痴呆の父が、母を心配している様子に夫婦っていいなぁ〜と微笑ましく思いました。 父と母が同じ病院に同時に入院するとは・・・ 母が入院していることで、急に父の意識がシャンとして、一生懸命に母を気遣う父でした。 私の両親がこんなに仲の良い夫婦だったとは・・・・・元気なときはケンカばかりしていたのに(苦笑) 母は退院の日、一緒に帰りたいという父にこっそりと退院しました。 この頃から父はひんぱんに幻覚が見えるようになりました。 父の不穏原因は白血球の数値が悪くなると如実に現れます。 私は、父が穏やかで過ごせることがなにより嬉しかった。 お見舞いに行った時、父が病室にいないと、また何かしでかしたな!ドキッ として 私は一目散にナースステーションにダッシュ! 父は機嫌良くナースステーションで自分のカルテをめくったり看護師さんのミーティングの輪に参加?させてもらっていました(苦笑) このころ父はナースステーションがお気に入りでした。 父の介護認定は、”要介護3”に決定したとのことに決定。 ”要介護3”が良いんだか、悪いんだか? 結果的には介護保険を利用することは一度もありませんでした。 初めてナースステーションに居る父を見た時は、何かしでかしたか? 体調が悪いのか?と 不安でしたが、この頃はナースステーションに居ないと、体調が悪くなったのかと心配になりました。 父は、摩訶不思議な話をいっぱいして、歌もたくさん歌ってくれました。 話をしている父はとても楽しそう〜 でも、父は私の見ている世界と違う世界が見えているようで、 「おとうさん、こっちこっち」と引っ張ってあげられれば・・・と切実に思いました。 姑の存在・・・ますます重たくなりました。 いい加減うんざりです。 顔をみると腹立たしく思うこともありました。 急激に状態が悪化してしまった。 もうこれで最後か・・・ もう少し頑張ってよ!と必死に薬を飲ませる私の指をガフリと噛んだ父。 ありがとうの気持ちなのか・・・私の頭をナデナデしてくれた父。 残された時間は少ないだろうな・・・そう感じたけれど まだ、父と摩訶不思議な話が出来ることを嬉しく思った。 「家族に愛されたい」「みんなでいると楽しい」と、父の会話はいつも穏やか。 痴呆になってしまったけど、父の良いところがたくさん残っていて こんなに優しく呆けられるなら、呆けることは怖くない・・・ この頃の父を思い出すと、今でも泣けてくる。 楽しくて嬉しかったハズなのに・・・ とても良くしていただいた病院でしたが、一応”完解”ということで転院が決まりました。 父はこの病院が大好きだったので(転院が薄々分かっていたのか) 「ずっとこの病院に置いてくれるな? 病院から出されるような悪いことしていないから置いてくれるな?」と、母に何回も言っていたようです。 私は、転院するくらいなら在宅で看たいと真剣に悩みました。 私が毎日、父について付いていられない事でヘルパーさんを頼んでも無理だろうということで 在宅は断念したのですが、親の近くで暮らせたら、姑と同居していなければ・・・と切実に思いました。 義親と同居しかも遠距離・・・はぁ〜とため息ばかりでした。 在宅が無理ならばせめてこの病院で最後までと願いながらも転院の日は近づいてきました。 転院先の病院と打ち合わせ、介護タクシーの手配など転院の準備はしていたのですが、 退院前の血液検査で、白血病が再発していることがわかりました。 転院は中止、地固治療をしていない父の再発は避けられないので、 再発が転院後でなくて良かったと 変にホッとしました。 こういうのって何て言えば良いんでしょうね・・・ 気持ちがシンプルになった父に教えられることが沢山ありました。 ドクターから、後1ヶ月くらいだろうと言われてしまいました。 高齢者の白血病の厳しさはそれなりに分かっていたつもりだったけど辛い・・・ 父の身体がもうボロボロなのが分かるから、 もう頑張らなくて良いよ! と言う気持ちと、まだまだ生きて! と気持ちが交差して・・・ 思ったより早いお別れの日になってしまいました・・・ 大好きなお酒だって一緒に飲みたいのに・・・ たわいもない話もしたいのに・・・ 後1ヶ月って言われてたのに・・・4日目で亡くなっちゃうなんて、 お父さん、せっかちすぎだよ。 お父さんの最後の幸せは「痛くないこと」って言ってたから、 先生に「痛くないようにしてください」ってお願いしたんだけど、 苦しくなかった?痛くなかった? 娘として、お父さんにしてあげられることがなくなってしまってって、凄く寂しいよ。 ちょっと早いお別れだったけど、 遠くから出かけていく私に、辛い思いをさせたくないお父さんの親心なのかな・・・ おとうさんの最後に立ち合わせてくれてありがとう! 入院中の父、めっきりおじいさんになってしまったけど、 お見舞いに行くといつも嬉しそうに笑ってくれました。 お父さんありがとね! |